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人ごみ苦手の田舎者。
セロリ以外のおよその物なら喜んで食べる薄味派。
何かにハマると動けなくなる性質、そして他人を巻き込む恐れ有。
そっとしておけば噛みつくことはない。
腐女子歴6年目。とくに目立った活動は無いが、ジャンルが未だ拡大中。
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だいぶ放置してましたね。苦笑
久しぶりにこっちを更新です。
学祭が終わりまして、早一週間と半分くらいが過ぎようとしてます。
終わってから2日間くらいは抜け殼と化してました。いやぁ、楽しかった。
今日の記事は、いろいろ割愛させてもらって、とりあえず今の心境を率直に書きます。
長いからたたむよー。
あ、痛くて恥ずかしいから、いつの間にか消えてる可能性すら孕んでるよwww
演劇がしたい。
演劇ができる環境になりつつあって、ものすごく嬉しい。
脚本も、また書かせてもらえるようだし、それをやりたいと言ってもらえた。
嬉しい。嬉しい。
演劇というものとの関わり方を、今、もう一度考えている。
大きい舞台に立たせてもらった。家族の協力の上、当時の私なりに頑張っていたと思う。
でも、今とは本当に違っていた。演じることも考えることもできていない。ただ、舞台に立っていた。それは恵まれたことだし、贅沢なことであるのと同時に、ものすごく恥ずかしいことだったと思う。
今思えば。
舞台に立つこと自体が楽しくて、たまらなかった。
私には、本当に当時の私には、それしかなかった。学校に居場所なんて見つけられなかった。友達なんていなかった。
スポットライトの下、赤い椅子が整然と並び、デザインされた凹凸の壁がそびえ、下手の暗幕の奥には手動の舞台転換装置。狭い袖で気合いを入れ、笑顔で飛び出せば、なにもいらないくらいの幸福感と緊張感を味わえた。
なにより大好きだったあのホールも無くなった。
それでも私の舞台との関わりは終わっていない。終われない、終わらせたくない。
私は舞台が好きだ。
芝居も、音楽も、ダンスも、お笑いも。ずっと愛しているのはミュージカルだ。あんなに楽しいものは無いと思う。
どうしてか。こんなにも、大好きなもの。失えないもの。
私は舞台から離れられない。そうだろう。
まさに、ぼろぼろの私に射した希望だった。きっかけはそれでも学校にあった。一般公募、オーディションの案内は黄色い一枚の紙。
あの日、私は、多分初めて自分の意思で動いた。「お母さん、これ、やりたい。やってみたい」
母は笑顔だったと思う。
忘れられない気持ちというのは、本当に消えないのだと思う。一枚の紙をランドセルにしまい、なんだかよく分からない高揚感があった。家に帰ると真っ先にそれを取り出し、キッチンへ向かった。これ、と渡し、やりたいと言った。「いいよ」と言ってもらったときの、ワクワク感といったら。
今、舞台をつくろうとまた創作の作業にはいっている。まだエンジンはかかっていないが、とても演劇モードだ。
だからこんな恥ずかしい記事を書いている。
舞台をつくろう。
私のすきな、舞台をつくろう。
できなかったことをしよう。
したかったことをしよう。
今ならできる。そして、きっと、今しかできないから。
お世話になった先生方に、お礼を言いたくてたまらない。
私に教えてくれてありがとうございました。
先生の言葉があるから、今もこうして舞台と関わっているんです。
「女優だろう?」なんて素敵な言葉なんですか。大好きです、先生。
今までにないくらい、ものすごく愛と情熱が湧いてきている。
なんてクサイ言葉だろうか。打ってて寒いくらいだ。だけど、これが今の率直な気持ちのナレーション。
舞台への愛と、創作への情熱。
つくりたい。
つくりたい。
表現の場をください。
私は、演劇が好きです。
大好きなんだ。
職業にできるだなんて思っちゃいない。それでもやっていくぞ。
今はただ、我武者羅に、学生という身分を謳歌するという建前で、本気で演劇をしていたい。
お粗末さまでした。よく読んだね。笑