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人ごみ苦手の田舎者。
セロリ以外のおよその物なら喜んで食べる薄味派。
何かにハマると動けなくなる性質、そして他人を巻き込む恐れ有。
そっとしておけば噛みつくことはない。
腐女子歴6年目。とくに目立った活動は無いが、ジャンルが未だ拡大中。
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やっぱり醜い人間の心の内を書いてしまったので、たたみます。
別に常 ネガティブなわけじゃないよ。笑
ただ、このとこになると途端に滅入るわけで。
では。
雨がやまない。
なにもない心にしんしんと降る雨粒。
しんしん、なんて表現は、雪に使われるものだけど、それでも今は雨に使いたい。
クリアな思考でも、考えるべき対象が定まらず、無意味に時を過ごす。それに抗うこともせず、そのクリアなままの思考で、こうしてキィを叩いているのだ。
なぜこんなにも、ままならないのか。
私は演劇をしたい。そして物書きになるための勉強をしたい。それだけのこと。言語についても知りたい、知らないことがたくさんある。それだけしか、今はしたくないのだ。
今は、というか、今までも、ずっとそうだったじゃないか。静かに振り返れば確実に目につくのはその3点じゃなかったか。
演劇をしたいのだ。私は演劇をしたいのだ。最近、そればかり言っている。書いている。ああ、演劇を欲している。
脚本を書くにしても、その他のことが目について、そしてその他のことの期限が近くて、集中できやしないのだ。制限、制約が多い。書けない。私は不器用ではないと思うのだが、こと思考するという作業に入ると途端にそうなってしまいがちだ。いっぺんに2つの事は考えられない。課題と創作を一緒に頭の中に住まわせるなんてことは、できないのだ。常に、どちらかが占領する。しかも期限のある課題の方がその割合は大きいだろう。学生への批判をどうまとめるかを、ずっと考えている。
演劇をしたいのだ。今すぐにでも劇団に入ってワークショップを受けてスキルアップをはかり、自らの書いた本でひとつ短い芝居を作りたい。ああ、演劇をしたい。
同年代でまさに演劇に打ち込んでいる人を目の当たりにすると、どうしようもない羨望と嫉妬と憎悪と情けなさが湧き上がる。どうしてあそこに居るのは私じゃないの。どうして私はああなれないの。彼女と私の人生に、いったいどんな違いがあるの。そんなどうしようもない事ばかりを思ってしまって、本当に私はどうしようもない人間になってしまうのだ。
人生・生活なんてものは、羨望・嫉妬、それの繰り返しだと先生が言っていた。まさにその通りだと思った。常に嫉妬している。常に羨ましがっている。時にはそれを口にだすことだって厭わない。そうしなければ保てない自分が在るからだ。しょうがないなんて言葉で片付けたくはない。
痛い。ああ、痛い。どうしてか、こんなに、こんなに。
悔しさというものを直視するのは、醜く叫ぶ自分を見ることだ。向かい合う勇気を持っているつもりだったが、そうでもなかったようで、少々自分に落胆していなくもない。している。
うらやましい、悔しい。どうして、なんで。私じゃないの。私じゃだめなの。どうして、なんで。
努力をしようと何度も奮い立たせてきた。勝とうなんて思わずに、認めてもらいたいという純な欲で今までやってきた。報われない。まだ、報われない。
まだ、なんて使うと、これからがあるようだけど、実はそんなものはないのかもしれない。
こんな風に失望した人間に、光は射すのだろうか。甚だ疑問に思わずにはいられない。私は失望したのだろうか。果たして本当に、自分に希望を見いだせなくなってしまったのか。そんなことはないと否定し続けるけれど、それにも限界があるんじゃないかと最近は思う。
駄目だ、弱くなってる。弱い、違うな。向かい合ってきたからそう思えるんじゃないのか。いや、やはり弱いのだ。なんせまだ、私は19歳だ。諦めるのが早すぎる。
いくら自分を励ましても、そうしきれないときもある。そうだろう。
私は演劇が好きで、脚本を書きたくて、舞台に立ちたくて。言葉を学んで、そうして過ごしていたいのだ。
ただ、それだけなのだ。でも、それで生活はできない。職業にできるなんて夢みたいなこと、思ってないなんて言えない夢見がちなままだ。畜生。
作家になりたいんだ。劇作家になりたいんだ。演出も兼ねて、時には出演もして。土屋礼央や小林賢太郎になりたいんだ。私は。
その力があるかどうかなんて、今考えるべきことじゃないだろう。精一杯、今は部活にのめりこもう。そこで演劇をやるんだ。私がやりたい、私がやれる演劇のかたちをみつけるんだ。かためなくてもいい。私の演劇をみつけるんだ。それしかないんだと、そう思う。
演劇が、好きなんだ。
駄目なんだ。目の前で、私が望んだ評価をされる人を見るのは、どうしても耐えられない。
自分の内にある羨望と憎悪、嫉妬が、否が応でも主張してくる。
自分のそんなところを真正面からなんて見たくない。そんなもんだろう。それが、己と向かい合わないということだと、わかっていても、それはどんなんに辛いことか。
情けなさと無力感とで自棄になりそうになる。
どうしてだ、なんでだ。
何に対する何の問いかけなのかもわからないけど、そんな言葉が口をつくのだ。
そして地団駄を踏んで無性な悔しさに涙をこぼし、悲鳴にもならない嗚咽を布団やクッションに埋めるんだ。
そのたび、やりたいことは一つだと、クリアに思えるんだ。
結論にたどりつくのが、もう少し早ければ、また、違ったふうになっていたかもしれない。でも、これまでの経緯を辿らずしてこの結論には至れない。だから、いいのだ。このまま、このまま、この思考と付き合っていこう。
就職という審判がくだるその前に、私自身に審判をくだせるように、全力で演劇するしかないじゃないか。
朝には、雨はあがる。
明けない夜もないよね。
星は、やっぱり見えないけど。